女川出島(いずしま) お祭り盛り上げ隊 ハンチャイ hanchyaiのブログ

女川の小さな静かな島に、時々訪れ 島の人たちとの ふれあい、状況などを記録します。 2023年の 架橋に向けて工事進行中。(2024年に又延期→2024年12月・・・)メール:hanchyai@yahoo.co.jp

何年たっても、3.11

河北新報の記事より。

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 厳かな雰囲気の追悼式はなくなり、追悼は個々の献花のみとなりましたね。

 

 あれはあれで、関係者の方々は大変そうだなあ と見ていたので 簡略化してよかったのかな とは思っています。

 

 反面 急速に風化していくような気がして心がキュッと寒くなりました。

 

それにしてもコロナ禍、長いですねぇ・・・

それも、屋内の追悼式を取りやめた一因でしょう。 

 

皆んな、それぞれ想うことがあるでしょう。

 

明日、2024年3月11日。

東北大震災のあの日から、丸13年になります。

早退して、自宅の仏前で黙祷しようと思います。

 

あー、胡麻最中買っておけばよかった。

今日は雪で出かけたくないなー。

土日の人混みは極力行かない。

今度、エルファロに泊まる時にしようっと。

能登地震

元旦から、大変なことになりました。

被災された方々とご家族の皆様にお見舞い申し上げます。

 

語れることもないんです。

 

我々は 様々なニュースを見て、見守るしか出来ません。

わずかでも募金をどの団体にしたらいいのか考えます。

 

被災地外の側になるとはこういうことなんだ。

テレビに地震速報が出て、

ケータイのけたたましいアラーム、

楽しんでいた番組が急に中断され

現地の揺れている様子、津波の様子、逃げている人、海岸に平行して走る車、すぐテレビで映し出され見せられる。

またアラーム。僅かな揺れ。

 

72時間を経過し、全容が顕になってきて。

何かしらしてあげたくて仕方がない。

こういう気持ちで皆さんいてくれたんですよね。

 

でも今じゃない。

 

辛いですよね、寒いですよね、どうしたらいいのか、不安しかないと思います。

元には戻らない現実。

けれど サンドの伊達ちゃんもいってるように、

必ず助けがいきます。

とんで行きたい気持ちを抑えて見守っている人たちが沢山います。

納得がいかないことが多いかもしれないけれど、順番があるんです多分。

 

被災された皆さまとご家族の 心と身体の健康のご無事をお祈りします。

 

 

東北大震災を陸地で経験して想うこと。

 今回 元旦の夕方から、何度も震度4程度の地震が発生しているようで。心折れますよね・・・ 

 あの時もそうでしたが。

そして3.11の後の4.07で、本当に心折れたのを覚えています。夜中だったし身体動かないし、半ば諦めました。同じようにくるとは限らないのだけれど、能登の約1ヶ月後も油断ならないということです。

 立てて置く物もできるだけ寝かせて置いたし、高いところの飾りも撤去したまま。割れるものは出さない飾らない。寝る時はパジャマでなく暫くはいつでも外に飛び出られるジャージとか。ジャンパーは常に玄関の近くにあり。普段お付き合いらしいこともなかった隣人と助け合うようになり。知らない人が尋ねて来たり。玄関ではなく窓から声かけてくれたり。コメントきたり。不思議な日々でした。人の種類が明らかにされた日々だったと思います。